手づくりの記憶

元夫が突然工作を始めておもちゃを作ってくれた

人に安直に手づくりをおすすめをしているけど、じゃあ一体手づくりって何がいいんだろう?とぼんやり考えている。

愛情がこもってるし世の中に1つだけ。思い出に残るし大事にするし、そりゃいいに決まってるけど、、

後は何だろう?

ストローで吹くと本物みたいに動くアオムシ

SNSをよく見るようになって、色んな人の作品を見るようになった、みんな楽しそう。心が動いたら応援の意味を込めていいね!を押す。

でもふと、これでいいのかな?と思う時がある。

私にとって手づくりって何だろう?と、一度深く深く思い出してみる。 

たくさんたくさんいろんなものを作ってきたけど、その中で一番はこれかなと思った。

やまんばの女子高生時代は軽めのルーズソックスが流行り

私が自分の為に作ったものでもなく、娘の為に作ったものでもない。

母が私のために縫ったものだ。

母は私が4歳の時に離婚した。兄兄弟がいて4人のシングルマザーになった。

まだお父さんがいるこの頃は色々買ってもらえた

朝刊夕刊集金の新聞配達に加えてアルバイト、寝る暇もないくらい働いてた。家ではいつもこたつで仮眠をとってる母の記憶。

もうこのまま目を覚ましたくないと思う程毎日疲れていたと思う。

私たちを母親代わりに育てたのは体の弱いお婆ちゃん。

お婆ちゃんが入院した時は近所のおばちゃんが心配して覗きに来てくれた。

そんな私の家。殺伐としていた、兄は登校拒否に万引き、家庭内暴力。

手作りのかけらもない。

お婆ちゃんがいなかったら私たちのうち二人は施設に入れられてたらしい

友達が、お母さんとお姉ちゃんとお菓子を作るのと言って、そんな夢みたいな世界がこの世にあるのかと驚いた。

お弁当をお母さんが作ってくれた事があったけど、お母さんは料理が下手。友達の前でお弁当箱を開けるのが嫌で自分で作るようになった。

普通の家庭に憧れた。

私も家庭科で手芸を習ったけど、マフラーを数本編んで後は何も作らなかった。

高校生になった時、ルーズソックスにミニスカートが流行っていた。

長いスカートの丈を少し短くしたいとお婆ちゃんに相談したら、お母さんがやってくれた。

いつの間に?そんな時間あったの?そんな事出来るの??

しかも綺麗だった!

後にも先にもその時だけ、母が裁縫をしたというのは。

私はものすごく嬉しかった。

友達に言いふらした、「これ、お母さんが短くまつってくれたんだ!」

「お母さん上手だね~、私もやって欲しい〜」

と友達も言ってくれてものすごく誇らしかったのを覚えている。

その時のスカートはもう高校卒業してどこかにいった。どうしたか記憶にもない。

これが私の一番嬉しかった手づくり。

きっと本人は覚えていないだろうな。

SNSにこのスカートを投稿しても多分いいね!はつかない、その数を他と比べたってしょうがない。誰もその話を知らないし、私にしか分からない価値。

それでも私には、充分。

たった裾をまつってくれただけの既製品のスカートが私の宝物の思い出。

書いていて泣けてくる、強い強い憧れと、欲しかった愛情、言葉に出来ない色んな思いが私にとっての手づくりなんだ。

誰にも頼まれてないのに、なんでこんな事してるんだろうと思ってしていた刺繍

私がなぜ必死に娘のすべての持ち物にひとつひとつ刺繍をするのか、自分でも分からなかったけど、きっと自分の為にやっている。

幼い頃の自分の為に、今自分で穴埋めを一生懸命しているんだと思う。

私にとって手づくりとは、そういう大切な意味合いがあるんだと分かった。

さて、、、過去のものをごちゃごちゃひっぱり出したが、この気持ちは整理整頓して大事にしまっておこう。

娘と作ったチャボのティントンの風鈴。手づくりを通して豊かな家庭を作っていこう

さあ、スッキリしたあとはもう思い切り楽しもう!

だって手づくりは楽しむのが一番!楽しいからやるんだ!

それを忘れちゃあいけない。


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