自己紹介

こんにちは、やまんばのにしきHPへようこそ!

よく怖がらずにここをのぞいてくれました・・・ヒーッヒッヒ
とって食ったりしないので、どうぞやまんばのおはなし読んで行ってくださいね♪

なんでやまんば?!

皆さんは「やまんばのにしき」という昔話をご存知ですか?

山に住むやまんばが、村からお餅を届けに来てくれたおばあさんに、切ってもなくならない、美しい錦の反物をお礼に渡した。

そんなお話しです。

屋号を考えるときに、「繊維の仕事をしていて、山好きなシングルマザー」であった私がこんな自分の事を一言で表現できる単語って何だろう?

と考えた時に、そんなやまんばの事を思い出して、私にぴったり!と思ってしまいました。

いつかやまんばの様に、美しいものを作り出せる、そして子供たちにとって親しみやすい(?)存在になれたらなぁと思っています。

覚えやすくて忘れないネーミングがいいなと思いましたが、ちょっとインパクトありすぎ?!笑

はじめましての自己紹介

5歳の頃、粘土作品を褒められて撮った写真。子供の頃からモノづくり系女子

では改めて私の詳しい紹介です。

1979年静岡県生まれ、現在は岐阜県在住
性格:とにかくおおざっぱ。放浪癖。準備がちゃんとできない冒険家。
趣味:自然農とチャボ、登山、手芸全般(刃物を研ぐのは苦手です、ご安心を)
将来の夢:自給自服的生活の出来る大家族&村&社会を創り、子供達が生きやすい世界創りに貢献すること!あとファミリーホームがしたい♪
その他の活動:「遊暮働学村ととけっこ」運営中。好きな事だけして生きる、を実践中です!

資格:毛糸編物検定1級
最終学歴:川島テキスタイルスクール修了
職歴:2010年より尾州産地にあるテキスタイルメーカーにて織物と編物のテキスタイルデザイナーを9年間勤める。
その後独立しニット製品の下請業を6年した後、現在は編み物の高校非常勤講師とフリーの機械編み講師を勤めている。

<受賞歴>
ジャパンテキスタイルコンテスト(生地デザインのコンテスト)
2009愛知県知事賞
2011ウール賞
2012尾州賞
・・・他同コンテスト受賞多数

その40年後・・(紙は同じく5歳の娘に書いてもらいました♡)

私と編み機の物語

私が家庭用編み機とどの様に関わってきたかを書いております。良かったら続けてどうぞ~

突然の転換

川島テキスタイルスクールにて綴り織の課題をしている私

私は手織りを主体としたテキスタイル(生地)の学校を出た後、織物のテキスタイルデザイナーとして働いていました。

5年程働いて、やっとこ一人で仕事が出来るようになってきた頃、突然上司に呼ばれて言われたのです。

「横編みを会社に導入するから研修に行ってきてくれ」

横編み???編み物ですか???

「横編みの機械で生地を作っている会社なんか他にないから、うちが新しい事に挑戦するんだ」

他がやった事がない事を織物の私がやるんですか???

分けの分からないまま、そこから編み物に深く関わるようになりました。

(横編みというのはリブ機(両板機)が全自動になったものと考えてください。)

基礎から最先端まで一気に学ぶ

島精機製作所トップページより

研修では和歌山県にある「島精機製作所」という世界で有数の横編みメーカーの本社で、編み目の成り立ちからボタン一つで製品がポンと完成する最先端のプログラムまで習いました。

手編みの経験はあったものの、ニットとはなんぞや、というところから丁寧に教えてもらい、私の編み物知識の原点になっています。

とにかく言葉に出来ない程すごい技術の詰まった会社で、ここまで世界は進んでいる!未来世界に来た!と驚愕したと同時に、同じ社内のデスクでせっせと手編みをしている女性がいたのが印象的でした。

何の業務をしている人だったか覚えてないのですが、その光景と「手編みを目指して機械を発展させてきた」という言葉を同時に覚えています。

研修で同じチームだった方と記念撮影までしてくれました(2014年)

一番最初にここで教えてもらえた事はとても私にとって幸運でした。
まったくレベルは敵いませんが、今でもこの研修を目指して教材を作っています。

孤独な戦い

さて研修が終わった後が大変でした。
最初は丸1日かけても1cmも編めなかったり、機械の使い方が体に入るまでが長い道のりでした。

さらに、特殊な環境ゆえの問題もありました。

会社では数名のチームで編み物の生地を生産していました。
しかしデザイナーは私一人です。

誰も教えてくれる人がいなく、日々孤独に機械と向き合っていましたが、本来セーターなどの「パーツ」を編む事を設計して作られた機械で反物を作って売る事は難しく、ヒントを求めて近所で横編みをやっている会社を訪ねて行く様になりました。

ものづくりの神様

娘を抱き上げる師匠

そんな折、友人の紹介で出会ったのが、ものづくりの師匠です。

師匠は自分で特殊な糸を作り、それを通称「手横」(家庭用編み機の工業版)で手編みして、ニット製品を作っている方で、糸だけじゃなく機械も自作したり、他の人が真似出来ないものづくりをしているスゴイ方でした。

師匠は世界レベルのデザイナーと服を作り上げ、出来た服はパリコレに出たりCMに出たり、ここまで作りこめば、こうなれるんだ!という私の中での基準となりました。

家庭用編み機との出会い

そんなある日、師匠が言いました。
「手横じゃ量産できない糸がある、どうしよう?」

デザイナーさんが気に入った糸が手横では扱いずらく困っていました。

そこで二人で相談して「家庭用編み機」に挑戦してみる事になったのです。

家庭用編み機が何かもよく分からず、とりあえずネットオークションで一つ購入し、早速問題の糸を使って編んでみました。

すると簡単に編む事ができたのです!

「よし!これで量産しよう!」

即決でした。

(イメージ写真)

その後私が家庭用編み機担当になり、同じ機種の家庭用編み機を数台購入。
私と友人たちで分担して編みまくりました。

「ど素人の私たちでいいのかな?」と言いながらも作った服は無事、パリコレのランウェイを歩いていました。

これが私の最初の家庭用編み機との出会いです。

好きな事だけして生きていく

家庭用編み機の楽しさ、使いやすさに魅了された師匠は、その後もトップブランドの服作りを私に任せてくれる様になり、毎日編み機を使って働く日々が続きました。

そんな折に私は人生の大きな転機を迎えました。
まだ娘が2歳の時に離婚することになったのです。

編み機の下請けだけではとても食べていけない、しかし親にも頼れない状況でしたが、小さな子供を置いて外に働きに出るのにとても抵抗がありました。

それとは別に長年、「いつか起業して自分の足でしっかり立ちたい」という気持ちを抱きながらも何も行動を起こせない自分に対しての苛立ちが募ってもいました。

もう今ここで立ち上がらなくては!子供に自分の背中を見せてあげれる親になりたい!

と起業を決意し、下請けの仕事もやめて本格的に動き始めました。
何を仕事にしていいかも分からない状況でしたが、

「好きな事だけして生きていこう」

と心に誓い、ブログにこの「決意表明記事」を書いた翌日に、一通のメールが届いたのです。

編み機の先生になる

「編み機の使い方を教えてください」

とそのメールには書いてありました。

編み機が使えるのと教えるのでは全く容量が違うのですが、尻込みしている余地はなく、藁をも掴む気持ちでそのお話を受けました。

早速自宅に招いて、機械編みの体験をしていただき、その後も数回のレッスンを受けてなんとか作品を編めるようになりました。

毎回が冷や汗ダラダラで終わった後は一人反省会。

それでも「機械編みを教えてくれる人がいないので助かります!」という言葉に私は救われていました。

その後も、オンラインでも教えて欲しいという方が現れたり、「高校の非常勤講師として編み機を指導して欲しい」という依頼が続き、私は無我夢中で「編み機の先生」という道を突き進み始めました。

ひとりぼっちの戦い

しかし、家庭の編み物と今までやってきた工場で作る編み物とは別物です。

家庭用編み機の正しい使い方を正しく教える、、、そんな事手編みの知識・経験もろくになく、今まで既製品や反物を作ってきた私にはまったく高い壁でした。

そして、ハード面。
編み機は種類が沢山あって、生徒さんも色々な機種を使っています。
まず自分が編み機の構造についてきちんと理解してから扱いたいし、
メーカーが衰退している現在では編み機を使うにはメンテナンスの技術も必要です。

教え始めてやっと、ソフト・ハードの両面で自分の知識の浅さを痛感し、これ以上聞かれたらどうしよう、もう教えられる事は底を尽きた、私一人でこのまま教えられない・・・!!と悩みと焦りでいっぱいでした。

手芸協会などに連絡をとって聞いみても「今はもう機械を教えられる先生はいないねぇ・・」という答えばかり。教えてくれそうなお教室に直接電話をしてももうやっていないのか電話が通じない。

編機メーカーさんに修行に行ったらどうかと思うけど、遠くて現実的に通えない。

誰にも聞けない、近くに誰もいない!でもこのまま一人で続けていく自信もない・・・

神様は近くにいる

そんなある日高校の編み機が次々に壊れるので点検を行おうと前任の先生と連絡をとった際、メンテナンスができる方が近くにいる事を教えていただきました。

大興奮で急いで連絡をとり、メンテナンスを頼むついでに「そのやり方を私に教えてもらえませんか!?」と図々しく頼みこみました。

快く承諾していただき、早速乗り込んだ話はブログにも書きましたが、本当にすごい方で、それ以来私はメンテナンスの師匠と呼んでは、教えてもらいに通うようになりました。

何度か目の時にメンテナンスの師匠が突然、

「市川さんに紹介したい人がいる。全国で3本の指に入る編み物の先生だよ。ここからはその先生に編み方を習うといい」

と言ってその場で電話をかけて私を紹介してくださいました。

もう本当に驚きと衝撃でした。

私が今一番出会いたいと思っている人が何故わかるんだろう!!私は一言も言っていなかったのに!!

その編み物の先生は、メンテナンスの師匠と一緒に編み機を盛り上げてきた方で、今でも現役で編み物の先生の指導に全国を飛び回っている様な偉大な先生。

しかも77歳で編み物歴75年!

そんなスペシャルな先生が、なんと私の隣町に住んでいらっしゃったのです!!
そんな事ってある!?

そうして私は、生徒に聞かれても答えられなかった事や基本的な手編みの世界の話など、山の様にある質問を先生のところに行っては教えてもらえる様になりました。

今までどこにも書いてない、誰も教えてくれなかった事を、聞けばスラスラと教えてもらえる事が有難すぎて、私にとって二人はもう神様同然、御光が輝いて見えるのです。

出会いに背中を押されて

私の窮地を救ってくれたこの二人の師匠との出会いは、今でも私の背中を押し続けてくれています。

編み機をするのに、信じられないくらい恵まれた環境にいる自分が編み機を教えなくては誰がこの役を担うのだろう?

さらに私には、ものづくりの師匠をはじめとした、元繊維業界で働いていた仲間と尊敬する職人さんたちがいて、尾州地域という大きな繊維産地の中にいます。

地域、材料や機械、そして人。

それが揃って私の教室は成り立つのだという事を改めて感じ、全てに感謝せざるを得ません。

今もまだまだ未熟ではありますが、今の自分に出来るベストを尽くして編み機を教えていこう!それこそが私に与えられた使命だと思っています。

私の編み機愛はここからさらに発展・増殖中です。
是非一緒に楽しみましょう!

最後まで読んでいただいてありがとうございました!


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